ーー知事提出議案ーー
日本共産党は、予算関連議案・第3号など4件に反対、さらに、第23号など10件に反対します。来年度予算である3号議案に反対する第一は、「県内総生産の成長に比べて 県民所得はほとんど増えていない」とする金沢大学の調査結果にまともに向き合わず、賃上げ支援のための施策(せさく)もなければ、生活保護基準引き下げなど、安倍政権の暮らし破壊の悪政から、県民の暮らしを守ろうとする姿勢に乏しい予算案だからです。
第25号・手数料条例改正は県民負担増になり、37号山中漆器 産業技術センター条例改正も、伝統産業育成という点で過度な負担になりはしなかとの懸念から賛同できません。国民健康保険の都道府県化は、県から市町に給付費抑制、収納率向上、繰入解消を“指導”させることに狙いがあることから、第6号特別会計予算、第34号条例改正にも反対するものです。
介護療養病床廃止による介護医療院設置に関わる第30号についても、現行のままでは 医療が必要な要介護者が、医師や看護師などの配置が少ない施設に移らざるを得なくなるなど質の低下が懸念されることから、賛同できません。
第23号・事務処理特例 条例改正は、マイナンバーの取り扱いの拡大となり、プライバシー権侵害の危険がより高まることから反対します。
第43号は、高齢者の運転免許返納による交通権の維持・確保対策が不十分なままであることから、賛同できません。当初予算に反対する第2は、「ダブルラダー輝きの美知」構想、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けての名のもとで、関係者との丁寧な合意が後回しにされている国立近代美術館 工芸館移転、急ぐ必要のない広域営農団地農道整備事業などが推進されているからです。この点で、関連する26号、38号は請負契約議案ではありますが、賛同しかねます。
第1号平成29年度補正予算は、厚生文教委員会付託分には賛成しましたが、金沢外環状道路 海側幹線4期工事負担が含まれており、急ぐ必要はないとの立場から反対します。45号教職員定数条例改正については、これだけ教職員の長時間労働が問題となり、増員が根本的解決策といいながら、83人も減らす提案は到底県民の理解を得られるものではありません。現在の教職員数を維持するには、年約6億円との答弁があり、この程度の財源ならやりくりの範囲内であることを強調するものです。谷本知事の6期24年という多選の弊害は、決算総額に占める土木費の割合が全国25位から8位へ、地方債現在高の割合は12位から2位へ一方で老人福祉費は5位から29位へなど、くらし応援が後回しという、税金の使い方のゆがみに象徴されます。この歪みを是正し、「住民の福祉の向上を基本」とする、地方自治体の本来の役割をとりもどすために全力をあげるものです。なお、42号については昨年4月28日に成立した都市公園法改正により、公募選定された民間営利企業に、都市公園のリニューアル実施を条件に、公園内にレストランその他の「公共還元型収益施設」の設置・管理を認めることになりました。都市開発事業を実施する、民間開発事業者が、都市公園を都市開発の一部として自由に使用することが懸念され、公共空間であり、災害時の避難場所など都市公園の機能を損なう恐れが指摘されており、条例改正には賛同しかねるものです。当初予算に対する第3は、原発再稼動容認のもと、従来どおりの国まかせの原発防災・安全対策になっているからです。平成30年度当初予算の、原子力防災安全対策予算総額は、4億2千4百万円余ですが、県費はわずかその100分の1程度の、420万円しかありません。関連して、第46号 平成29年度 第2次2月補正予算についても、電力移出県等交付金5億2千3百万円を、県立図書館運営事業などに充当するのは適切ではない、との立場から反対するものです。繰越明許は、ほぼ昨年同様438億円にものぼり、予算の単年度主義を大きく崩すものとして容認できないことも付言しておきます。1月以来、記録的な積雪となったもと、除排雪が進まないことによる県民生活への少なくない影響が続いています。災害救助法施行令 第1条第1項 第4号にある、多数の者が救助を必要としているという基準の適用を積極的に行い、住宅地などの除排雪を行うためにも、災害救助法の適用を国に求めること。また、国交省による「幹線 市町村道 除雪費補助の臨時特例措置」の活用を強く要望するものです。
ーー請願ーー
次に請願3件の紹介議員として、特に56号、核兵器禁止条約の日本政府の署名と批准を求める意見書採択についての賛成討論を行います。昨年7月7日に「国連会議」で採択された核兵器禁止条約には、国連加盟国の約3分の2にあたる122か国が賛成。昨年10月には、核兵器廃絶国際キャンペーン=ICANが、ノーベル平和賞を受賞しています。授賞式で、ICANとともに活動してきた被爆者のサーロ節子さんは、次のように演説をしました。「広島のことを思い出すとき、私の頭に浮かぶのは、4歳だった甥(おい)の英治の姿です。彼の小さな体は見わけもつかないほど焼けただれた肉の塊となっていました。かすかな声で水をちょうだいと訴え続け、苦しみながら息を引き取りました」「私にとって英治の姿は、今この瞬間にも核兵器で脅かされている 世界中の罪のない子どもたちに重なってよみがえってきます。核兵器は日々、この瞬間も、私たちが愛する人、大事にしている人すべての存在を危険にさらしています。この狂気をこれ以上許してはなりません」「核兵器は必要悪ではありません。究極の悪なのです」「くずぶるがれきの下敷きになった13歳の時、私は頑張り続け、光の見える方向に進みました。そして生き延びることができました。今の私たちにとっての光は核兵器禁止条約です」。この訴えにこたえ、請願への賛同をよびかけ、討論を終わります。